INTERVIEW | 米津玄師が
オルタナティブを語る
なぜ米津玄師は変革者であり続けるのか。世間のメインストリームに迎合することなく、むしろ異端であることを選び続けてきた彼は、どのようにして大衆性を獲得したのか。
疎外感に苛まれてきた思春期から、タフであることを選びとった時期、そして受け取ったバトンを渡す側に立った現在の感覚まで。その表現の奥底にあるものを解き明かす。
今回の特集のテーマは“オルタナティブ”。つまり「主流とは違う、もう一つの」という意味の言葉です。自分の人生や足跡を振り返って、そういう言葉がしっくりくる感覚はありますか?
ありますね。今、自分がこういう人間になったのはどうしてなんだろうということを考えたりするんですけど、きっと生まれた瞬間からそうだったという感じがすごくしていて。こういうインタビューでもたびたび話しているんですけれど、生まれた瞬間から身体がデカかったんです。赤ん坊はだいたい3000gぐらいで生まれてくるんですけど、自分は4500gぐらいだったらしくて、しかも変な形をしていたらしいんですよ。障がい児の可能性もあった。それが人生の最初だったので。
赤ん坊の時にはそういう自意識はなかったわけですよね。自分はこういう人間だったんだ、と後から振り返って感じるようなことがありますか?
自分の中のめちゃくちゃデカい意識の変化みたいなものはなかったですね。自分が他とは違う人間なんだと、日々生きていく中で大きく意識したかっていうとそんなに意識はしてなくて。でもうっすらとした「自分は何か違うんじゃないか」という意識がどんどん強くなっていった。 20歳超えてくらいですね。特に今年になって、伏線が回収されていく感じがすごくあるんです。
「伏線が回収されていく」とは?
ツイッターで言われて知ったんですけれど、マルファン症候群っていうのがあるらしくて。その疑いがあります、調べてみてくださいって言われて。検索してその特徴を見たら、画像にまんま俺みたいな人が出てくるんです。四肢が長くって。それが発覚して、自分は最初からそうだったんだなって思うようになりました。
最近になって知ったことがたくさんあるということは、思春期の時は訳のわからない違和感のようなものばかりがあった感じだったんですか?
そうですね。今思い返せば、「なんか、ちょっと違うな」っていう感じがありました。昔は、なんでそうなのか全然意識してなかったですけど、だんだん頭もよくなってきて、自分のことを俯瞰で見られるようになってきてから、「なるほど、そういうことだったんだな」って思うように。それにもっともらしい名前がついて、ようやく解答を得て、スッキリしました。
思春期の自分を振り返って、周囲と自分ということに関してはどうでしょうか。中高生の頃、クラスの中の自分、社会の中の自分、そういうところでの違和感や疎外感はありましたか?
学校に通ってたらクラスの中で共同生活をしなきゃいけないわけなんですけれど、そこで最初はみんな何を言ってるのか全然わかんなかったんですよ。自分だけ違う国の人間というか。自分は日本語をしゃべってるつもりなんだけど、相手の言ってること、何を意図してるのか全然わかんなくて、それに対してどう返していいかわからないから「あはは」って感じで適当に笑ってばっかりっていうことを長らくやってて。そういうところに対する居心地の悪さみたいなものがあって。自分の中でもそれに対して危機感があった感じです。
それはどういうふうにわからなかったのですか?
小学生、中学生ぐらいの時の話なんですけど、これから何十年も社会の中で生きていかなきゃいけないのに、このままだとヤバいと思い始めてから結構努力したんですよね。そこで人の話をしてるところを端から眺めてみて、どういうふうにキャッチボールが成り立ってるのかをいろいろ自分なりにリサーチして勉強したんです。それで、結局やっぱりみんな自分の話しかしてないんだなって気付いた。相手の話を汲んでないというか、汲んでないというとおかしいんですけど、俺からすると全然話が噛み合ってないのに、何の滞りもなく会話が循環しているんですよね。
それぞれが自分の言いたいことだけを言ってる、ということですか?
そうそう。それに気付いたというか。きっと自分は、何をしゃべればいいか、相手がしゃべってることに対して何を返せばいいのかみたいなことについて、すごく敏感になりすぎてたのかなと思って。適当でいいんだなって。適当でいいというとあれなんですけど。
いわゆるその場のノリのようなものに合わせていく、という感じですか?
規則みたいなものがあるんですよ、会話のノウハウみたいなものがあって。みんなそれに則ってやってるんですけど、俺からするとそれが全然わからなかった。なんでそんなにすぐわかるだろう、って思ってたんですよね。例えば面倒くさいシステムの飲食店ってあるじゃないですか。初めて行くはずなのに、わかるやつは「この店はこういうシステムだ」ってすぐにわかるんですよね。その構造をちゃんと理解することができる。でも、全然わからないから、小学生や中学生の時は「なんでなんだろう?」って考えてる時間が、ものすごい長かったんですよね。自分の音楽性も、そういうところから来てるんだと思うんですよ。社会的でなければならないというか、何かに対して溶け込もうとするというか、そういうものが自分が音楽を作るときの一つの指針としてあるんですよね。だから、そういうところのある種のコンプレックスみたいなものはあるのかなというのは思います。
思春期の頃の自尊心、自己肯定感についてはどうでしょうか。中学生の頃には音楽を作っていたり、絵を描いていたりしていたんですよね。そういうことも含めた自分の内面に関してはどうでしたか?
基本的には自己肯定感みたいなものはほとんどなかったですね。自分は落伍者だと思っていたので。社会的な、みんながやれてしかるべきことをすることが全然できない。単調な会話を続けることができないし、5分くらいしゃべったら「もういいや」ってなっちゃうし。そういう意味では自分は本当にダメなやつなんだなって意識があります。でも、そういう自己肯定感がほとんどない側面とめちゃくちゃある側面というのが両方あって。それは裏と表だと思います。音楽を作ったり、絵を描き続けてきましたが、そういうことをやる人って、思春期において、ある種の無敵感みたいなものがあるわけですよ。そういう無敵感は自分にもありましたね。その頃から、自分のことを天才だと思いながら生きてこれている。何の根拠もないその無敵感みたいなものが、自分は一度も折れることもなくここまで来た感じがしていて。いまだに自分のことを天才だと思うし、それは幸運なことでもあると思います。自分のことを必要以上に卑下することと、それは矛盾するわけでもなく両立している気がします。
有名になりたいという願望はありましたか?
有名になりたいと思ってましたね。やっぱり、そういう思春期の謎の無敵感があって。自分みたいな他の人間が先に世に出られたら困るから早く世に出なければならないって思ってました。それを疑ったためしがなくて。俺は有名になるんだろうなって、ずっと思いながら生きてきたので。「なりたい」というより「なるだろうな」って。
思春期のことについて聞いたのは、米津さんの作っている音楽に、その時の感覚が生き続けていると感じたからです。もちろん音楽との関わり方は変わっているし、世の中における立ち位置、簡単に言うと地位や名声みたいなものも10年前と今では全然違う。でも、どこか変わらずにあり続けているものがある感じがします。
そうですね。そのつど作る曲によって違うというのはあるにはあるんですけど、一番根っこにあるものは、それこそオルタナティブな人に対して何かを発信したいというか。誰かに聴かせたくてやってるのかどうかっていうのも、そのつど自分の中で答えが出ては「果たして本当にそうなのか」って問い直したり、そういうのを続けてるんですけど。でも、そういう、自分と似たような人間が自分の音楽を受け取ってくれることによって、何らかの活力や希望になってほしいと思う。それはいつもそうかもしれないですね。10年前も、音楽を作り始めた時から、そういう気持ちでやってきたのかなっていうのは思いますね。
先ほど「オルタナティブ」というテーマから周囲への違和感という話を聞いたんですが、米津さんの場合は最初に身体の話が出てくる。つまり、自分の身体についての特異な感覚は大きなポイントなんだと思うんです。ご自身はどう捉えていますか?
すごく気持ち悪い身体で生まれてきたなって感じがあるんですよね。だから、自分が着る服って、わりとボディラインが隠れるものが多くて。それもあんまり意識してなかったんですけど、ある時、細長い手足とか、そういうものを包み隠してくれるようなものを好んで着てることに気付いた。昔から背が高かったので、身長が伸びるスピードが速くて、丈が足りない問題っていうのがあって。だから、ピッタリしたものが着たくなかったんです。貧相に見えてしまうし。自分にちゃんとフィットしたものを買ってもらえない貧困があると考えていて。だから、なるだけデカいものを着て、それによって自分の姿も隠すっていう生き方でずっとやってきました。最近になってようやく、「それでいい」って思えるようにはなってきましたね。
肯定的に捉えられるようになったんですか?
すごい猫背なんですよ(笑)。これまでは写真を撮る時も必要以上に背をまっすぐ伸ばしたりしてたんですけど。「そういうもんだしな」って。マルファン症候群の症状の一つに、骨の湾曲みたいなものがあるらしくて。俺の背骨ってめっちゃ曲がってるんですよ。たぶん、そもそものことなんですよね。そもそもそういうふうに生まれてきたんなら、それでいいと思えるようになってきた。そういう感じはありますね。
最初はボーカロイドを使って音楽を表現し、ハチという名前で初音ミクに歌ってもらう形で音楽活動を開始しましたよね。そこから人前に出ないままやっていく選択肢もあり得たと思うんです。でも、なぜ、あえて本名で、自分の顔と身体を人前にさらすことを選んだのですか?
うーん、そうだなあ……バカだったんだと思うんです(笑)。頭が働く人間だったら「表に出なくてもよくない?」って考えたかもしれない。自分の声も好きじゃないし、「じゃあなんで歌ってるんだよ」って言われたら「なんでなんだろう」って。自分のことを知ってほしい承認欲求みたいなものがあるにはあるんですけど、だったらボーカロイドじゃない生身の女の子に歌ってもらう選択肢もあったはずで。でも、それ以外考えられなかったんですよね。基本的にバカだったってことなんだと思います。だから、やっぱり疎外感かもしれないですね。
それはどういう意味ですか?
社会に対して自分がいつも爪はじきにされてるとうっすら感じながらずっと生きてきたから、「俺は誰からも理解されずに死んでいってしまうのではないか」という気持ちが年々強くなって。だから、ボーカロイドで自分の音楽がいろんな人に届くようになったのは、すごく嬉しいことではあったんです。でも、人間の欲望ってとどまることを知らないもので、もっともっと知ってもらいたい、そのために好きでもない自分の歌声や、奇妙な出で立ちや、そういうものを表にさらさなければいけない。やりたくもないライブをやらなければいけない。結局、自分の首を絞めるようなことばっかりやってるんですよね。そうじゃないとつまんないんですよ。自分がやりたいことだけ、自分の殻に閉じこもって、自分のパーソナルスペースの中だけでやってたところで全然おもしろくない。そのまま5年、10年やってたら、音楽を作るのもそんなに好きじゃなくなっちゃっていたかもって思うんですよね。自分が自分のことを好きでいるために、自分の嫌な部分も全部出す必要があったってことなのかなと思いますけど。
今仰ったことを踏まえて考えると「バカだった」というのは、つまり、リスクをとりにいったということだと思うんです。特にメジャーデビュー以降、音楽との向き合い方が変わってきた。そういう実感はあるんじゃないかと思うんです。
バカじゃないといけないところってありますよね。基本的には自分のことを悲観主義者だと思うんですけど、その反対側にあるものも、ちゃんと自分の中にある気がしていて。自分はソロミュージシャンなので、悲観主義者の役割と楽観主義者の役割を両方やらなきゃいけない。バンドだと役割分担ができるんですけど。だけど、自分はバンドをやりたかった人間で、バンドが向いてなくてやれなかった。そうなったときにストロングにならなければならない、タフにならなければならない。自分一人ですべて賄えるくらいのものを持ってなければならないというようなことを考えて。いろんなことを1年ぐらい考えてみた結果、やっぱりバカになるという。最終的には、それしかないというふうになりました。
ここ数年の米津さんを振り返って、大きく変わったと感じるポイントがいくつかあるんですが、その一つがダンスだと思うんです。「LOSER」のミュージックビデオでダンサーの辻本知彦さんと出会い、ダンスで表現することが加わった。それで、自分の身体に対する
感覚も変わってきたんじゃないかと思いますが、どうですか?
ダンスに対する憧れは昔からあったんですよね。高校生くらいの頃から友達の間でちょっと流行っていて。ただ、その頃そういう肉体的な表現に興味はあったけど、でも自分の分野じゃないんだろうなという諦めがありました。そこから10年ぐらい経って、ひょんなことからやらざるを得ない状況になってしまって。それは自分で追い込んだ部分もあるんですけど。やってみたら、褒めてくれる人がいた。ダンスに自信があるわけではないですけれど、少なくとも「いいね」と言ってくれる人がいて、また新たに自分に一つ加わったという感じがありますね。自分の足りないものを埋めていく人生だったと思うんです。最初はボーカロイドをやっていて、DTMでパソコンの前でカタカタやっていて。それが頭でっかちになってきて、さすがに外に出ないといけない、ストロングでタフにならなければいけないと思って。それで、自分の声で歌って、自分の身体を人前に出して、ライブを繰り返していった結果、身体性を鍛えていかなければならないということになって。それで辿りついたのがダンスだったというのは、不思議というか、おもしろいなって。辻本さんとか、(菅原)小春ちゃんとか、これだけおもしろい人に出会えたのは、いいことだと思います。
こうして振り返ると、デビュー当初に立っていた場所とは、2018年の今、かなり違うところにたどり着いたと思うんです。「Lemon」という曲が、とてもポピュラーな、大衆的な曲として広がっていった。それを達成したっていうところで、率直に感じたこと、思ったことは?
そういうのが欲しいというか、たどり着きたいと思いながらずっと作っていたんです。そもそも自分が好きだった中学生くらいの頃から聞いてる邦楽のロックバンドでも、BUMP OF CHICKENだったら「天体観測」とか、ASIAN KUNG-FU GENERATIONだったら「リライト」とか、代表曲と言われるものがあります。それが世に出てきた時の衝撃はすごいものがあったんです。自分もそういうものを作りたい、その時代、その世代を象徴するような一曲にどうすればたどり着けるだろうかっていうことを考えながら、ずっと音楽を作ってきたんですけど、今回、「Lemon」が、そういうものになった。それで、その時に思ったのが「あっ、これなんだ」という感じです。
正直、「Lemon」があんなに売れるとは全然思ってなくて。ドラマの主題歌で、ドラマに合ったもので、ドラマを構築する一部である。それは普遍的でポップなものに仕上げなければならないっていうのは大前提にあった上で作ったんですけど。「これが俺にとっての代表曲なんだ、そうなんだ」っていう感じですね。「打上花火」の時はあったんですよ、その年を代表する曲という意識がものすごく強くあって、それができたなと思っていた。意識と結果が両方あった。でも、「Lemon」に関しては全然なくて。めちゃくちゃ暗い曲だし。カラオケで一番歌われてると聞いても、「もっと歌いやすくて、盛り上がる曲いっぱいあるのに」って。それは不思議ですね。
その不思議さが生じるっていうのは、逆に言うと大衆性っていうところにタッチした感覚の裏返しなのかもしれない。理解の及ばない何かが生じた、みたいな感じですか?
そうですね。理解が及ばない、そういう大きな流れみたいなものがありました。それを意識して、ウケる曲を狙って作った曲はあったんですよ。「打上花火」もそうだったし、ボーカロイドで作ってた「マトリョシカ」もそうで。あれもボーカロイドのシーンでどういう音楽が流行っているかを観察して、それがどういうふうに自分の中に吸収できるか、どうやればみんなが楽しんでくれるのかっていうことを自分の中ですごく考えて出したらヒットした。昔からそういう経験があったんです。でも、ここに来て「Lemon」で不思議な体験をして、よくわからなくなってきたんです。
「Lemon」が100万ダウンロードを突破した時に、街頭に広告看板を出しましたよね。そこにキャッチコピーとして「音楽はつづく」という一言があった。米津さんもツイッターでその言葉を呟いたりしていたので、これはきっと大事なキーワードだと思ったんです。これはどういう意味、どういう象徴なんでしょうか?
自分はいろんなものを受け取ってきたんですよね。BUMP OF CHICKENとかアジカンとか、スピッツとか、そういう先人から受け取ってきたものが自分の中に蓄積されていって、それが自分の音楽に反映されている。ものすごく色濃く反映されている意識が強くあるんですね。自分はそういうある種のバトンを受け取ってきた。で、2018年はまだ終わってないですけれど、「Lemon」が一年を象徴するような曲になりつつある今、自分が受け取る側から渡す側にシフトしていったと感じることが多いです。
バトンを渡す側になったということですね。
2018年になって、自分がずっと会いたかった人に会えたんですね。宮﨑駿さんや鈴木敏夫さんとか、BUMP OF CHICKENの面々とか。昔から会いたいと思っていた人、興味を持っていた人に会える機会っていうのが立て続けにあった。そういう意味でも、自分にとっての伏線を回収した年なんですね、自分がマルファン症候群だったというのが判明したのも今年だし。だから、自分の人生において、広げるだけ広げた風呂敷が急に全部回収されていく感じになっていて。「自分の人生の第一部、完」みたいな感覚が強くて。そうなった時に自分がいろんな人たちから受け取ってきたものを、またどこかに渡さなければならない。今までそうやって何百年も続いてきた歴史っていうものがあるわけで、それを続けていかなければならないなって、そういう意識が強くなってきてるんですよね。
今、その話を聞いて思い浮かんだんですけれど、米津さん、今27歳ですよね?「27クラブ」という言葉があって、カート・コバーンもエイミー・ワインハウスも、いろんなミュージシャンが27歳で亡くなっている。それって、ひょっとしたら、ある種の伏線が回収されてしまう、人生の第一章が完結してしまうタイミングだったのかもしれない。そこで、米津さんが、自分の受け取ったバトンを次に受け渡すというように思っていただいてよかったって思いました。
僕はそこまでナルシストっていうか、自己愛が強く生きられないです。カート・コバーンの話で言うと、自分の人生を27年で終わりにするって、それは美しいまま死にたいっていうようなこと。そんなに自分のことを美しいとは思わないし、そこで雑に風呂敷を畳んでしまうのは嫌だなと思って。カート・コバーンが持ってたような苛烈な自死衝動みたいなのは—ないって言ったら嘘になるし、あるにはあるんですけど—でもそれで終わりにして美しい時代でもない気がするというか。自分勝手に、無責任に何かを終わらせるような気持ちにはなれないし、そんなナルシストになれないという感じです。
今までの話をふまえた上で、新曲の話も聞ければと思います。「Flamingo」と「TEENAGE RIOT」という2曲には、どちらもある種の原点回帰、思春期性や初期衝動的なものを感じたんですが、シンプルにこの曲はどういうところからできた2曲なんでしょうか?
まず「Flamingo」は、「Lemon」を作って、その後に「パプリカ」という曲をプロデュースして作って、その後に制約ゼロの曲を作れることになったんですよ。一応タイアップは付いてますけど、本当に自由にやれる環境がもらえて。最初に「何をやろうかな」って思ったんですよね。最近の自分の曲を聴き返してみて、タイアップ先と自分とのちょうど中間みたいな曲が多かったんですね。だから次の曲は自分の側だけの曲にしようかな、と。最近、いろんな米津玄師の曲がいたるところで流れて、食傷気味になるというか、「もういいよ」みたいな感じになるのも嫌だなと思って。1回またここでこういうのやってみるのもいいのかなと思って作り始めました。
「Flamingo」には、不思議な和の要素と厭世観があるように思いました。
最初、フォルクローレがやりたかったんです。スペインの民族音楽というか、アコギでジャカジャカ弾き語りながら歌ってたんです。で、なんか気が付いたらこんなジャパニーズテイストな感じになってました。沖縄民謡がめちゃくちゃ好きだったんですよ。グインって言うらしいんですけど、沖縄民謡独特の歌い方を一人で練習してて、何か使えるなみたいになって、そのフォルクローレっぽいやつでやってみたりしてたら、それにどんどん引っ張られて、気が付いたら民謡ファンクになっていました(笑)。どんどんコブシを入れたりして、自分でもゲラゲラ笑いながら作ってましたね。これ大丈夫かな、みんなついてこれるかな、って。
「TEENAGE RIOT」はどうでしょうか?
あれはそもそも、「Lemon」のカップリングになる予定だったんですよ。「Lemon」を作り終わって、カップリングを作るときに何も考えずに作ったのがあれなんですけど、そしたら「これはいい曲だからとっておこう」と言われて。そういう曲で、これはタイトルありきで作ったんです。「TEENAGE RIOT」って、そもそもSonic Youthの曲名なんですけど、そのタイトルがすごい好きで、そこからですね。ここ最近よくやることであるんですけど、10代の頃のことを考え直しながら作っていて。あれはイントロ、Aメロ、Bメロ、サビって構成の中でイントロから B メロまでが悲観主義者としての自分で、サビが楽観主義者としての自分という感覚があって。で、サビのメロディーは高校生の時に作ってた曲のメロディーなんですよ。
全部じゃないですけど、大体一緒なんです。たぶん15~16歳の時に作っていた曲で、その時にニコニコ動画にあげたりとかもしてたんですよ。だからたぶん聴く人が聴いたらわかると思うんですけどふとした瞬間に昔に帰って、その頃の自分がパッと蘇ってくる。そういうものを表現したいなと思った時に、あのメロディーが思い浮かんで、そこから作りました。
10月には幕張メッセという、これまでで最も大きな場所でのライブも開催されます。そこに向けては、どんなイメージを持って向かっている感じでしょうか?
新しいものになればいいな、というのはありますね。いろいろとやりたい要素があって、「実現したらいいよね、するかどうかわからないけど」みたいな打ち合わせをちょうどしているところです。あとは、肉体表現を頑張りますって感じですね。
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NEW Double A-side Single 「Flamingo / TEENAGE RIOT」
10/31発売
米津玄師
1991年3月10日生まれ、本名。別名義「ハチ」。楽曲だけでなく、ジャケットのイラストや、ミュージックビデオも手がけるマルチクリエイター。インターネットにオリジナル曲を投稿しはじめ、中毒性のあるロックサウンドで存在感を切り開いていき、2012年、米津玄師として初のアルバムを発表。
今年発表した「Lemon」は、ミュージックビデオが1億8000万再生を突破。
日本レコード協会より、史上最速での100万ダウンロード認定を受け、2018年上半期チャートを席捲。
Official HP : http://reissuerecords.net/
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【書誌情報】
タイトル:HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE01
発売日: 2018年10月18日(木)
価格:1,620円(税込)
流通:全国書店・ネット書店
※ 一部取り扱いのない店舗もございます。予めご了承ください。
※ 在庫の有無は、直接店舗までお問い合わせをお願いします。
【販売リンク】
・ タワーレコード オンライン
https://tower.jp/item/4810975
・ Amazon
http://www.amazon.co.jp/dp/4908024219
・ 代官山書店 Yahoo店
https://store.shopping.yahoo.co.jp/d-tsutayabooks/mag59177j-9784908024214.html
・ HMV&BOOKS online
https://www.hmv.co.jp/product/detail/9247330
*10月27日(土)、28日(日)に幕張メッセで開催される「米津玄師 2018 LIVE / Flamingo」のライブ会場CD販売コーナーにて『HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE 01』を数量限定で販売します。会場にて本商品をご購入のお客様限定で「ポストカード」をプレゼント。
- WORDS: TOMONORI SHIBA
- PHOTOGRAPHY: YUSUKE YAMATANI
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