style
Where the runway meets the street

“以前のM A S U(マス)はスポーツテイストが強くて、僕の持つ世界観とは違ったんです”
前任者と入れ替わる形で就任したM A S U(エム エー エス ユー)のデザイナーを務める後藤愼平はこう切り出した。ブランドの哲学から逸脱していないコンセプトは踏襲しつつも、変化という意思表示のための選択だったという。“マス”にはそもそも多方面の意味が存在する。まず、丁寧語の“ます”。それが示す、きめ細かな服作りと常識となっているこの言葉と同じく生活へ馴染むようにという想いが込められている。そして、“mass(大量の意)”の精神もブランドの根底にある。
 
多くの人が限定アイテムを手に入れることに労を惜しまず、まるでその競争を勝ち抜くことがファッション界における一種のステータスであるかのような昨今。一部の人間のみが手にできる限定アイテムが街で異様な光を放っている。しかし、M A S Uが目指しているのは多くの人の手に自身のクリエイションを届けることだ。
「デニムやTシャツのような新たなスタンダードを作りたい。一点物や少量ではあまり意味がないと考えています。丁寧に作りながらも、少しでも多くの人に着てほしいという思いは強く、ある一定以上の物量で生産することを心がけています。」
そもそも初めてファッションに興味を持ったきっかけは、画家であったという祖母のワードローブだった。「長期休暇の度に田舎を訪れては、幼いながらに一人コーディネートを組んで遊んでいました。だから、最初に慣れ親しんだのは女性の洋服でしたね。その後はヴィンテージウェアに惚れ込んで、初めて自分で買った服もボロボロのLevi’s®(リーバイス)の501でした」と思い出を話す。その後は専門学校でデザインを学び、自分がデザインしたものを服にする喜びを初めて知った。それとは対照的に、ファッションの学び舎らしからぬ授業には常に疑問を抱いていた。

「デザイナーを育てる学校なのに、授業では答えが一つしか存在しませ んでした。縫い代は何センチだとか細かく決まっていて、自由度は非常に低かったです。結局、それに従えず課題を提出していたので成績は優等生でなかったですね。だから余計に、ヴィンテージを取り扱うショップLAILA VINTAGEへ通う度に見ていたマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)のクリエイションには感銘を受けていました。まるで製品になる前の状態のような服、人形用の服を人間サイズに拡大したものなど、学校の正解にはないデザインばかりでした。」そこから知人を通して、LAILA VIN TAGEの自社製品のデザインを担当するようになった。
「当時ではまだ流行が下火だったリメイクアイテムを作っていました。Levi’s®の501を解体してトラウザーズに再構築したものを縫っては納めるという毎日でしたね。ディレクターと試行錯誤しながら納得いくまで作り上げたものなので、思い入れは強いです。Levi’s®に限らず、やはりヴィンテージは昔からずっと好きでした。」


現在でも、その嗜好は確実にデザインへと反映されている。“WELCOME HOME”と題した2018-19年秋冬デビューコレクションでは、ヴィンテージのファブリックやヴィクトリアン時代の要素が色濃く目立つ。家具や調度品は完成度が非常に高いという考えから、日常で身に着けるさまざまなアイテムへもそのデザインを落とし込んだ。例えば、ナイフをイメージしたバングルやブランケットステッチを施したコート、2色の異なるジャガード生地の組み合わせは床の木目を表現したものだ。また、ひし形の生地を縫い合わせて作り上げたダウンブルゾンは、本物のソファーのような立体感とボタン留めのディテールがコレクションテーマを顕著に表している。
家具と服の消費のされ方についても、次のように相違点を説明している。「家具は購入から長期間使われて大事にされるのに対し、服には最近そういう感覚がなくなってきています。だから家具のように完成度の高い服を作って、買った人には大切にしてほしいです。」
確かに現在のファッション界は目まぐるしい速さで変化し、そのスピードは年々加速している。しかし、まだ全自動で服が仕上がるシステムは存在しないと指摘する。「ファストファッションは必ずしも悪いものではなく、時代が求めた一つの正解だと捉えています。ですが、どんなに安価な服でも、どこかのプロセスで必ず人間が関わっています。ボタンを一つ押せば服ができるようにはまだなっていません。最近はみんなそこを考えていないから、簡単に物を捨てられるのだと思います。僕が作る服には人の技術を使った面が見えやすいので、それを理解してもらう第一歩として、自分の服を媒介として伝えたいです。今だからこそできることをやるべきですし、そういったことを続けていくべきだと考えています」。現在のファッションシステムを受け入れながらも、まずは消費者側に語りかけたい、対話がしたいという一人のデザイナーとしての強い想いが感じられる。
この意見には一理ある。昔と比べ、より多くのものが安い価格で買えることは決して“悪”ではない。世界の多くの国が資本主義を採用する状況において、価格競争は避けられない。購入した値段が安かったからといって必ずしも品質に問題があるわけではなく、一定の期間内で捨てる必要はない。要は消費者が何を着たいのかを選択すること、それが大事なのである。

後藤も制作する際、しっかりと自身で考え、意思決定を行っている。「M A S Uは中国の縫製工場から出資を受け、自社の工場で8割を生産することより多くのアイテム価格を抑えることを可能にしています。最初に現地の工場へ足を運んだとき、そのクオリティの高さに驚きました。もちろん中国で生産したものには“Made in China”と表記しています。イメージはまだ悪いかもしれませんが、技術や品質が向上していることは認めなければなりません。一方で、今は服をいかに簡単に分かりやすく作るかの勝負になってきています。それが蔓延すると、工賃が高くても良い仕事をする工場や職人が廃業してしまう。大事なものが失われ、取り返しがつかなくなってからでは遅いです。これまではそうやってきたはずの人も忘れてきているのではないでしょうか。譲れない、残さないといけないものは数多くあります。だからこそ僕は、国内外問わず満足いくクオリティが得られないものは絶対に妥協しません。日本には素晴らしい生地、腕の良い染め師、テーラー技術があります。バランスは重要ですが、日本だからこそ作れる素晴らしいものはたくさんあります。」
型の決まった服の長所や短所を考察し、その型や伝統を尊重しながら、現代の空気を纏わせることに重きを置く
これはM A S Uが掲げるコンセプトの一つである。
「“型の決まった服”とは、いわゆる洋装という意味での服です。和服ではないということですね。その原型というとやはり鉄道員や海兵隊員のユニフォーム、テーラードジャケットなど。だけど時代背景も加味されてどこか堅さがあるから、シルエットを活かしながらも別の素材で仕上げたり、昔からある良いものを自分のフィルターにかけて仕上げるよう心がけています。」
「そして“現代の空気”とは、決して今っぽさや流行ではありません。時代によってその時代ごとの大きな流れは確実にあります。ただしその流れに呑み込まれると、アイデンティティやブランドのスタイルなどが失われてしまう。最近は特にそれが顕著で、本来持っていた、そのブランドにしかなかったコアな部分を変えざるを得ない状況が多いように感じます。ブランドとは本来、毎日が歴史作りであり、それを続けることにより新たな道を作ることができると信じています。しかし今は、全員が大きな同じ道に合流してしまった。以前は、小さくてもさまざまな方向へ進んでいたはずです。そこに違和感や怒りを強く感じていて、僕の思う現代とはアンチ現代にあります。アンチと言っても、反旗を翻したり、立ち止まるのではなく、一緒に流れながらも新たな道を切り開いていくイメージです。不本意に自分を変えている人が多い中で、その支えや新たな拠り所になりたいと考えています。現代の空気というよりは、その時代の流れを汲み取って、新たな指針や提言を服に纏わせるということかもしれませんね」

「より多くの人にブランドを知ってもらいたいですが、僕の作っている服は日本人に似合うということが大前提なので、まずは自国の人に認められたいです。そして、ファッションウィークが停滞している今だからこそ、東京にこだわっています。極端な話、時期はファッションウィークではなくてもやりたいですね。ただ、ブランドが広く知られても、服の一つ一つは昔から持っている宝物のように大事に扱ってもらえるようなブランドであり続けたいです。」
今後は海外進出やランウェイも視野に入れながらも、方向性は変えないことが重要だと考えている。まずは地に足をつけて、東京で発信力や発言権を獲得していく展望だ。

Words by
engineer

世界を股にかける天才敏腕エディター