ブレインデッドのカイル・ウンが浅野忠信にLAでインタビュー
俳優の浅野忠信は、映画『エレクトリック・ドラゴン 8000V』、『Ichi the Killer(邦題:殺し屋1)』、『サバイブ スタイル ファイブ プラス』などで主演を務めるなど、アバンギャルドな日本映画界の主役に躍り出た。これまでに、三池崇史や北野武をはじめとする国内有数の監督とプロデューサーとタッグを組んで仕事をしてきている。
彼は近年、国際的なスクリーンに活躍の場を移し、より多くの主要な役を演じる立場になった。まず、全シリーズに出演を果たした『マイティ・ソー』シリーズでは戦士ホーガン役で出演。 同作のストーリーでも重要な役割だ。浅野のマーベル作品への出演は、多くのファンの獲得につながった。
『マイティ・ソー』は、浅野にとって初めての正式なアメリカ映画への出演作品で、日本の映画界とはプロセスがまったく違う。彼がアメリカ映画に場を移したのは、日本にはない役柄を通してのキャラクターの展開や自己表現について考える自由があるからだという。「リーアム・ニーソン(Liam Neeson)」、「アレクサンダー・スカルスガルド(Alexander Skarsgard)」、「リアーナ(Rihanna)」と共演した『バトルシップ』や、2013年には「キアヌ・リーブス(Keanu Reeves)」主演で日本人俳優の真田広之も出演したファンタジー・アドベンチャー映画『フォーティーセブン・ローニン』といったメジャーなアメリカ映画への出演を重ねている。
次に浅野が選んだのは、ネットフリックスのオリジナル映画『アウトサイダー』だ。ここでは「ジャレッド・レト(Jared Leto)」と共演している。第二次世界大戦後の日本を舞台にした作品で、浅野はレトを導く役を演じ、日本のヤクザの神秘的で厳格な世界にレトを魅了している。最近、LAに滞在した際、浅野は、同地を拠点に展開するブランド「ブレインデッド(Brain Dead)」の共同設立者「カイル・ウン(Kyle Ng)」と会った。今回、ウンは、浅野が長年取り組んできたという絵を描くという趣味、演技のテクニックについて学んだこと、そして、一見厳しく見える日本社会での生い立ちについてインタビュー。また、「ブレインデッド」の2018年春夏コレクション、そして「サスクワァッチファブリックス(Sasquatchfabrix.)」とのコラボレーションアイテムを着用する浅野にも注目してほしい。
ーーいつ絵を描くようになったのですか?
「3、4歳の頃です。父が画家志望で、常に絵の具で絵を描いていました。幼稚園に通っていたとき、美術の授業で、先生が絵を描く方法を教えてくれ、その日からすごく夢中になるように。創造的に何かを表現するための最初の手段でした」
ーー絵を描くときにインスピレーションになるものは何ですか?
「カリフォルニアの強い日差しが好きで、そこからできる物や人の“影”です」
ーーただ趣味のためだけに絵を描いていますか? それとも誰かに見せたことはありますか?
「楽しみのために描いています。日本で2回、展示をしましたが、アメリカでやったことはありません」
ーー俳優の道に入ったのはいつですか?
「4歳のときです。父が俳優のマネージャー業に就き、それからしばらくして、テレビドラマシリーズに出演するオーディションを受けました。すごく小さな役でしたが、それが私の出発点です」
ーーなかでも好きだった役柄は何でしたか?
「当時、演技について何も知りませんでしたが、幸いにも、多くの偉大な監督と才能ある俳優たちに会い、多くのことを教えてくれました。彼らのサポートに心から感謝しています」
ーー浅野さんがパンク・ロックやハードコア音楽を聞いて育ったと理解しているのですが、そうですよね?
「はい。当時、パンクとハードコアのシーンにいる友人が多かったんです。初めてバンドで演奏したのは16歳のときでした」
ーーインスピレーションを受けたバンドは?
「『リップクリーム(Lip Cream)』、『ガーゼ(Gauze)』、『デスサイド(Death Side)』のようなバンドたち。当時とてもアングラなハードコアのバンドです」
ーー当時、俳優とパンクに関わっていて、変な感じはしましたか?
「そうですね、友人たちは『君は俳優? それともパンクが好きなの?』と、プレッシャーをかけて迫ってきました。自分が俳優であることを恥じていましたが、その理由は分かりませんでした。この2つのものは、そのときには実際に融合していなかったと思います」
ーー浅野さんは、自分が俳優よりパンカーだと感じていましたか?
「ミュージシャンになりたいと思っていましたが、父はその世界を理解していなくて。彼が私に言ったことを覚えています。『お前はなんてバカなんだ。俳優業をやりつづけるべきだ』と」
ーー浅野さんの仕事を賞賛する側の人間にとって、浅野さんが最もクールだと感じるのは、映画にの中の浅野さんが他の普通の俳優のようではないからです。パンク・スピリットと浅野さん自身の芸術的感性を示す面を持っていますよね。
「音楽でライブをするまでたどり着くのはとても大変でした。若い頃には、自分の周りには“クール”な俳優はいませんでした。日本ではイメージが非常に重要になってくるので、違うと思ったものは見たいと思われません。ミュージシャンの親友と一緒に育ったこともあり、彼らからたくさんのことを学びました。それがあったからこそ、成長できたとも思っています」
ーー『エレクトリック・ドラゴン 』や『Ichi the Killer(邦題:殺し屋)』のような映画に出演されていますが、浅野さんは自分の経験が自分のやりたい仕事・出演作を決めることに役立っていると思いますか?
「はい。でも正直言って、私がそういう役柄で出演できたのはラッキーなこと。21歳のとき、元妻(CHARA)と結婚し、その後、離婚しましたが、結婚を機により多くの音楽のキャリアを積んでいきました。そこから、人生と環境は一変。映画業界はどんどん大きくなり、より多くの人々が映画を観るようになっていました。そして、映画業界から多くの注目を集めるようになったのです」
ーー三池崇史監督のインディペンデント系映画の分野から、どのように主流の映画業界に進出していったのですか?
「30歳くらいになると、一緒に仕事をしていたインディペンデント系の映画業界の多くが大きな成功をおさめていました。かつては知られていなかった名前も、今となっては、大手の映画スタジオ、監督、プロデューサーになっています。私は自分のキャリアにさらに集中したいと考えていて、そこに追いついて友人たちと仕事をすることができました。お互いを信頼し合っていたので、私たちのスタイルが損なわれることはありませんでした」
ーー浅野さんが出演した初めてのアメリカ映画は何でしたか?
「『マイティ・ソー』シリーズ。それ以前は香港、タイ、ロシアで仕事をいくつかしましたが、アメリカでの最初の映画は『マイティ・ソー』です」
ーーどうやってホーガン役を射止めたのですか?
「モンゴル映画『モンゴル』でチンギス・ハン役で主演を務めた後、アメリカのプロデューサーがアメリカに来るチャンスをくれました。滞在中、彼が私をアメリカの代理人に紹介し、その後、オーディションを経てホーガン役を勝ち取りました」
ーー日本とアメリカの映画制作の違いは何ですか?
「日本では、ディレクターの仕事はとても限定的。たとえば、“こんな感じに話す”、“こう書く”、“こう歩く”などの指示を出します。自分が思っている解釈や、個人的に思っていることはなかなか反映させられません。対してアメリカでは、監督は常に『あなたはどうしたい?』と尋ねてきます。日本では、ディレクターが多くの方向性を決めてくるので、その部分を本当に考える必要はないけど、アメリカではキャラクターの話し方や身振り手振りを自分で考えなければなりません。日本の一部の人たちは、ヒット映画を観て『売れっ子。浅野はいまやビックな仕事をしている』と言いますが、現実にはより才能やスキルのある人がいて、競争が激しいので、アメリカの映画業界で生き残るのは非常に厳しいことです。日本で仕事をしている時よりも遥かに多くの貴重な教訓を学び、アメリカで働いてたくさんのことを吸収しました」
ーー『マイティ・ソー』出演者でインスピレーションを受けた俳優はいましたか?
「ロキ役を演じた『トム・ヒドルストン(Tom Hiddleston)』。彼は素晴らしい俳優です」
ーー大人になってからインスパイアされたアメリカの俳優がいましたか?
「『ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)』です」
ーーそれは興味深いですね。では、インスパイアされた映画は?
「ジャックが出演している『カッコーの巣の上で』」
ーー浅野さんが出演するネットフリックス映画『アウトサイダー』。これにはどのように関わったのですか?
「『アウトサイダー』については、初期からかなり関わっていました。LAにいたとき、プロデューサーの一人に紹介を受けました。それからすぐに三池崇史監督に紹介されました。三池さんが監督を務めることになっていて、『殺し屋1』以来の一緒の仕事になるはずでした。そこに主演で「トム・ハーディ(Tom Hardy)」が加わりましたが、トムが降板したのに続いて三池監督も降板。それで主演にジャレッドと日本国外の監督がプロジェクトに加わりました」
ーージャレッドは音楽をやっているし、興味の幅が広いので、浅野さんととても似ているように思います。彼と仲良くなりましたか?
「はい。彼ともっとつながりたいと思っていました。彼はナイスガイですが、考えていることを読むのはちょっと難しいです」
ーーアメリカと日本、どっちの映画を撮っているような感じでしたか?
「スタイルとしてはアメリカンだけど、すべて日本で撮影されました」
ーーストーリーを説明してもらえますか?
「日本に来た元米兵の主人公は、軍を脱走して日本の刑務所に収監されていた。そこで脱走を図ろうとする私(清という大阪のヤクザの組員)を助けたことで釈放後に、その組の世話を受け、世界最大の犯罪組織のひとつである組の正式な組員になる、というようなストーリーです」
ーー浅野さんが未だに音楽をやっているのはとても興味深いです。今は日本では、以前よりも人気があるのですか? それともまだそんなにメジャーじゃないですか?
「まだアングラですね」
ーーミュージシャンとしてのファン層と俳優としてのファン層は全く違いますか?
「はい。若い頃は、音楽をしていたというのを本当に出さないようにしていました。今はテレビや公の場でも自分の音楽についてたくさん話しているし、多くの人々がそれを観てくれています」
ーー浅野さんは、高橋盾が手がける「アンダーカバー(UNDERCOVER)」と仕事をよくしていますね。
「10代のとき、高橋盾の音楽が好きで『東京セックスピストルズ』のライブに行きました。初期の『アンダーカバー』のランウェイモデルのオーディションも受けましたよ」
ーーカッコいいですね。どんな日本のブランドが好きでしたか? あと、日本のブランドからインスピレーションを受けることはありますか?
「ファッションブランドに関する話をすると、自分はちょっともう古いと思います。飽きたわけではないのですが、どちらかというとヴィンテージショップに行くのがとても好きです。あと、自分のブランド『ジーンディアデム(JEAN DIADEM)」をやっているので、欲しいものを作っています」自分のレーベルを持っています。自分が欲しいものを作っています」
- Interview: Kyle Ng
- Photography: Asato Iida / Brain Dead