デニムにかける想いKUROの裏側に迫る
生地の開発から、デザイン、縫製、加工。ひとつの服にかかる工程全てを国内でまかない、熟練した 技を持つ日本の職人達と協働したものづくりを続けるブランド、KURO(クロ)。ブランド創業時からデザイナーの八橋佑輔が懇意にするのが、岡山県倉敷市児島にあるデニム加工工場ハングルースの山本厚だ。デザイナーと共に日本屈指のデニムの街、児島を訪ねた。
ーー2010年にKUROはPitti Uomoでデビューしました。お二人が出会ったのはいつですか?
八橋佑輔(以下Y):10年以上前かな。ハングルースさんの工場がまだ岡山市内にあったときからの付き合いですね。僕にデニムのことを教えてくれた共通の知人が山本さんを紹介してくれました。
山本厚(以下A):実はその前に、ヨーロッパの同業者からも噂を聞いていたんですよ。「日本にこういうブランドがあるよ」と。
ーーではデニムと最初に出会ったのは?
Y:中学生のときが古着ブームでした。デニムとの最初の出会いはその頃かな。たいしてお金もないのに下北にいって、いわゆるヴィンテージデニムの古着を探したりしていましたね。
A:僕は児島ではなく岡山市の出身ですが、それでも岡山県は他県に比べるとデニムが身近な存在でしたね。同級生にBobson(ボブソン)の息子がいたり。まさか将来、自分がデニムの仕事をするようになるとは想像していなかったですけど。
ーーKUROはデビューから9年、ハングルースは工場を立ち上げて15年。デニムに長年携わっていますが、デニムのどこに魅力を感じていますか?
A:デニム生地にもいろいろ種類がありますが、同じ生地を加工しても同じ表情が出ない。ダメージを与えて付加価値が出るのはデニムくらいなものですよ。我々にしか加工できないものがあるのが面白いし、そこに自負もあります。
Y:一度形になったものが、経年変化や二次加工で表情を変えるのがデニムの魅力ですね。普通に考えたらボロボロの服ですから(笑)。
ーー工場でデニムにダメージを与える工程を見学しました。サンドブラストで繊維の奥まで鉄粉を吹きつける工程がありましたが、あれほど痛めつけても破れないのが不思議です。
Y:デニムは元々作業服がルーツですからね。ハングルースさんの工場でも、みなさんデニム姿ですよね。
A:僕も普段は工場でデニムですよ。強いですから。
ーーKUROはデニムからスタートしたブランドですね。KUROらしいデニムとは?
Y:日本語の“黒”が持つ繊細さをKUROのブランドコンセプトにしています。瞳や髪の色だったり、80年代のCOMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)やYohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)が持つ黒のイメージだったり。ナチュラルで温度感のある繊細なデニムをKUROでは作っていきたいと思っています。同時に、生地、縫製、加工まで、メイドインジャパンであることにもこだわっています。
ーータグに生地、縫製、加工の各工場の名前が刻印されているのが特徴的です。デニム加工を主に担っている工場がハングルースなのですね。
Y:染色、ダメージ、リメイクと、デニムの加工は出尽くしている感があります。ハングルースさんはヒゲ(腿の周辺に擦れてできる皺)を強く出すとかだけではなく、繊細で自然な良い表情のデニムに加工してくれるんです。こんな細かな作業は海外では真似できないと思いますよ。
A:仕様書がないと作れないでしょうね。僕らはニュアンスでやっているから。
Y:微妙なニュアンスは色や絵でも描けないので、今まで何万本と作ってきた情報と経験で互いに伝え合っています。
ーーそのやりとりはメールで?
Y:いいえ。電話ですね。
A:そして八橋さんが現場にやってきて。
Y:40インチのデニムを後ろで縫い合わせているクロスデニムは、他の工場で縫製したものをハングルースさんで加工してもらいました。洗練された加工感が気に入っています。こういう繊細な作業ができるのが、ハングルースさんなんです。僕が今着ているMA 1(上記画像で着用)もそうですよ。
A:既に縫製されたMA 1をインディゴで染め直しました。ナイロンを染められる工場って、なかなかないと思いますよ。
ーー藍のような独特な色は、後染めの風合いなのですね。これまで一番(いちばん?)難しかった依頼は何ですか?
A:つぎはぎリメイクしたデニムジャケット。めちゃくちゃ大変で、会社をあげて取りかからなきゃいけなくて、会社潰れそうになったわ(笑)。生産性がなさすぎました(笑)。
Y:3本のパンツを解体してジャケットを1着作ってますからね。色味を合わせるために一度洗ってもらっているし。アメリカにヨーロッパ、アジアからも引き合いがたくさんあって、500本くらいはパンツを使ったんじゃないかな。結構、作りましたよね。
A:デニムじゃなくてカーキで作ったジャケットも好きだったなあ。傑作だった。
Y:別のプロジェクトで他の工場さんがこのジャケットと同じようなものをやりたいというので持っていったんですが、実物を見たら「絶対できない」って。技術的にも無理だし、手間もかかるし。
A:生産ラインにあげられないからね。僕らは生産性を無視して、オートクチュールのようにやってるので。
ーーハングルースさんは会社を潰しかねない依頼を断らなかった。
A:「こんなの無理です」は今まで一度もないですね。仕事を断ったことはない。
Y:恩を仇で返さないように頑張ります。いつかはMoMAで飾られるようになってほしいですね。
A:いろんなブランドを知っていますけど、八橋さん、いいものを作っていると思いますよ。
ーーKUROは、ひとつの服を作り上げるのに日本国内の様々な工場と協働されていますが、デニム産業と他のアパレル業を比べて違いを感じますか?
Y:デニム産業は力強い。携わっている人がパワフルですね。特に、デニム加工業は若い人がたくさん携わっています。やっぱり若い人が多い方がいい。縫製や生地などは、代々引き継いだ工場が多いですね。でも、やはり減ってきてはいるようで、100年単位の会社は少ないように感じます。
ーー山本さんが工場をおこしたきっかけは?
A:15年ほど前のプレミアムデニムブームのときに、デニムのヒゲ、アタリの加工を岡山市内で一人で始めたのが起業のきっかけです。その後、機械を買い足して、染色、加工、リメイクを一貫して手掛けるようになりました。
この児島の工場はもともと染色工場で、そのオーナーから工場の権利を引き継ぎました。親族から引き継いだものではないですが、代々という意味では同じですね。
Y:日本全国の工場を渡り歩いていますが、日本人は腕がいい。だからこそ、もっと世界へ発信してほしいと願っています。価値があるものとして扱ってもらいたいんです。そんな思いがあるので、日本製にこだわっています。KUROが大きくなれば、日本の工場の宣伝にもなるかな、と。ブランドの使命感というほどではないけれど、大切にしていきたいと思っています。
ーーこれからの展望を教えて下さい。
A:KUROのように、お客さんはどんどん発展していく。僕らはそれについていけるように、新しい技術にチャレンジしていきたいと思っています。
Y:面白い場所に店を出したいですね。北欧とか、ベルリンとかにね。
KUROの2019年春夏コレクションを撮りおろした、ファッションストーリーは上記のギャラリーからチェック。
問い合わせ先/KURO GINZA(中央区銀座6-10-1 GINZA SIX 5F)03-6274-6257
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